動画・本・イベント・TV番組 バレエよもやま話 バレエを楽しむ
バレエ映画『ファースト・ポジション-夢に向かって踊れ』に出演していた少年少女のその後。
2017/05/31
Contents
- 1 映画『ファースト・ポジション 夢に向かって踊れ!』、ご覧になりましたか?
- 2 舞台となるバレエコンクール、YAGPとは?
- 3 映画製作から5年、出演していた6人はその後どうしてる?
- 4 Miko Forgaty(ミコ・フォガティー)撮影時12歳
- 5 Jules Fogarty(ジュールズ・フォガティ)撮影時10歳
- 6 Michaela DePrince(ミケーラ・デプリンス)撮影時14歳
- 7 Aran Bell(アラン・ベル)撮影時11歳
- 8 Joan Sebastian Zamora(ジョアン・セバスチャン・ザモーラ)撮影時16歳
- 9 Rebecca Houseknecht(レベッカ・ハウスネット)撮影時17歳
- 10 Gaya Bommer Yemini(ガヤ・ボマー・イェミニ)撮影時11歳
- 11 プロのダンサーになってもならなくても…
映画『ファースト・ポジション 夢に向かって踊れ!』、ご覧になりましたか?
ローザンヌと並ぶ世界最高峰のバレエコンクール『ユース・アメリカ・グランプリ(YAGP)』を背景に、6人の若きダンサーたちを追った2011年製作のドキュメンタリー映画、『ファースト・ポジション 夢に向かって踊れ!』。
まだあどけなさの残る子供から、ダンサーとしての自分をシビアに見つめ始めたティーンエイジャーまで、バレエに青春をかけた少年少女たちの汗と努力と真剣さがまぶしい良作です。
舞台となるバレエコンクール、YAGPとは?
(YAGP(ユース・アメリカ・グランプリ)日本語公式HPより引用)
ユース・アメリカ・グランプリ(YAGP)は、アメリカをはじめ世界有数のダンススクールで奨学生として学ぶ機会を与える、アメリカで唯一のバレエコンクールです。このコンクールは、毎年ニューヨークで開催され、国籍を問わず9~19才のダンスを学ぶ生徒を対象としています。
YAGPは若いダンサー達が教育を受け、プロとして活躍するためのこの上ない機会を与えるために、世界に名高いボリショイバレエ出身のラリッサ&ゲナディ・サヴェリエフの2人によって1999年に創設され、プロのダンサーになるための足がかりとなっています。
映画製作から5年、出演していた6人はその後どうしてる?
先日、動画サイトGYAO!で期間限定公開されたのを機に、この映画のことや出演者たちのことが思い出され、出演者が今どうしているのか気になって調べてみました。(無料視聴期間はすでに終了しています。)
Miko Forgaty(ミコ・フォガティー)撮影時12歳
日本人をお母様に英国人をお父様に持つ日英ハーフのミコさん。出演者の中で一番印象に残っているという方も多いのではないでしょうか。
バレエに集中できるようにホームスクーリング(家庭学習)に切り替えるなど、熱心にサポートする元ピアニストのお母様も印象的でした。
インスタグラム↓で30万人のフォロワーを持つほど有名になったミコさん。
映画以降は、各地のバレエ学校でサマー・インテンシブクラスに参加するなど、いろんな場所で研鑽を積んでいたようです。
並行して多くのコンクールに出場、2013モスクワインターナショナルバレエコンクール金賞・ヴァルナとローザンヌでの銅賞をはじめ数々のメダルを獲得しています。
2015/6シーズンには英国バーミンガム・ロイヤル・バレエに所属し、アーティストとして踊っていたようですが、現在は団員リストにお名前が見当たりません。(1年契約だったのでは、との情報あり。)
SNSで発信している情報を見る限り、バレエ団という組織の一員としてではなく、フリースタイルでダンサーとして活躍の場を広げているらしいミコさん。
賛否両論あると思いますが、こういうスタイルでダンサーとして生きていくのもアリなのね!と新時代のダンサー像を見た気がします。
このままカンパニーに所属せずに踊っていかれるのでしょうか…色んな意味で今後が気になります!
Jules Fogarty(ジュールズ・フォガティ)撮影時10歳
映画でフィーチャーされていた他の子供たちのピリピリした雰囲気とは対照的に、ゆる~い空気をまとっていたミコちゃんの弟・ジュールズくん。
映画全体に漂う緊張感をいい感じにほぐしてくれた癒し系の彼、映画の中で言っていた通りバレエはやめちゃってるみたいです。
お姉さんのミコちゃんがインスタにUPした、17歳のバースデイを迎えたジュールズくん。↓
Michaela DePrince(ミケーラ・デプリンス)撮影時14歳
内戦後の混乱下にあったシエラレオネで生まれ、幼くして両親を失って戦争孤児となった経験をもつミケーラも、忘れられない登場人物のひとり。
4歳でアメリカ人夫妻の養女となり、撮影当時は14歳だった彼女。白斑のある黒い肌、筋肉質な体型というハンデを乗り越えてコンクールにチャレンジする姿には心打たれるものがありました。
フィラデルフィアのロック・スクール・ダンス・エデュケーションで学んだ後、ABTのジャクリーン・ケネディ・オナシス・スクールに場を移してスキルアップを重ね、南アフリカのバレエ団でゲストプリンシパルとしてプロデビュー。
17歳でダンス・シアター・オブ・ハーレムの舞台に立ち、18歳でオランダ国立バレエ団(the Dutch National Ballet)のジュニアカンパニー2年次に参加。
その後団員となり、21歳で迎えた2016/17シーズンにはグランド・スジェ(プリンシパル、ソリストに次ぐ階級)に昇進。時にプリンシパルロールを踊るなど、快進撃を続けています!
2014年には、養母とともに彼女の奇跡的なストーリーを一冊の本にまとめて出版。翻訳版含め12か国で販売され、世界中の人々を勇気づけています。
日本版はこちら↓。
夢へ翔けて: 戦争孤児から世界的バレリーナへ (ポプラせかいの文学)
こちらは原版↓『Taking Flight』。
Taking Flight: From War Orphan to Star Ballerina
こちらは、TEDでプレゼンを行った時の映像。(12分ほど。右下の歯車マークをクリックすると日本語字幕付きでも視聴可能です。)押さえた口調で語られる彼女の壮絶な体験段に、心動かされます。ぜひ、ぜひご覧ください。
今やダンサーとして、不屈の精神力と不断の努力で夢をつかんだ1人の人間として、多くの人々に影響を与えている彼女。喝采を送りたいです。
Aran Bell(アラン・ベル)撮影時11歳
撮影当時は軍関係のお仕事を持つお父さんの赴任先イタリアで、デニス・ガニオ(オペラ座エトワールのマチュー・ガニオのお父さん)から指導を受けていたアラン。
誰の目にも明らかな才能を持つ彼でしたが、才能に甘えぬ地道な努力ぶりに刺激を受けた方も多いのでは。
筆者も、彼が映画の中で言っていた『筋肉痛になると嬉しい』みたいな言葉に、「子供ながらにして…"極め人"だわ!」とひどく驚いたものです。
英国ロイヤルバレエやアメリカン・バレエ・シアター(ABT)のサマー・インテンシブにも参加、映画の舞台となった2010年YAGP以外でも、数多くのコンクールで受賞しています。
2014年にはABT Studio Company(元ABTⅡ)に入団(現ABTプリンシパルなど多くのスターダンサーを排出)、2016年にはABT(メインカンパニーのほう)にApprentice(研修生)として入団 しています。
ダニール・シムキンやマルセロ・ゴメス、ミスティ・コープランドなど数々のスターダンサーが所属するABT。刺激的な環境に身を置いてさらに成長が加速しそうなアランくん、いつか来日してくれるのでは?!
↓2016年3月ごろのインスタ投稿より。面影ありますよね~!
Joan Sebastian Zamora(ジョアン・セバスチャン・ザモーラ)撮影時16歳
当時16歳、YAGPの結果にその後のバレエ人生がかかっていた南米コロンビア出身のジョアン(スペイン語読みだと"ホアン"ですね)。ロイヤル・バレエスクールへのスカラーシップ賞受賞が決まった時には、好きなバレエが続けられるんだね…!とホッとしたものです。
地元コロンビアで才能を見出された彼は、5年にわたりABTのサマースクールを受講、次いでフィラデルフィアのロック・スクール・ダンス・エデュケーションで、その後YAGP銀賞で得たロイヤル・バレエスクールでと、いずれの場でも奨学金を得てバレエの研鑽に励んできました。
2013年、2年間学んだロイヤル・バレエ・アッパースクールを卒業後は、ロンドンに本拠地を置くイングリッシュ・ナショナル・バレエ(ENB)に入団。2シーズン在籍しました。
こちらの映像は、ENBカンパニー内の有望な若手6人が選出される『Emerging Dancer』というコンクールに参加した時のもの。力強い踊りが印象的です。
2015年からはシカゴのJoffrey Balletに在籍。アメリカでの活躍も期待されます!
Rebecca Houseknecht(レベッカ・ハウスネット)撮影時17歳
『ビバリーヒルズ高校白書』(古い…)の登場人物がTVから抜け出したようなアメリカン・ティーンネイジャーだったレベッカ。
金髪に青い目、白い肌、美しいラインの身体と才能を併せ持った彼女、YAGPでの入賞はなりませんでしたが、ワシントン・バレエからオーディションへの参加を打診されていました。
その後同団のスタジオ・カンパニーで踊っていたものの、『職業として踊ることが好きではなかった』ため1年で退団し、言語病理学を学ぶためTowson大学に入学、学内のダンスチームに所属して踊り続けていました。
現在はMaryland Performing Arts Centerでダンスの先生をしている、という情報もあり、"踊ること"には関わり続けているようです。
Gaya Bommer Yemini(ガヤ・ボマー・イェミニ)撮影時11歳
アランくんと仲良くなってたイスラエル出身のガヤちゃん↓。
映画の舞台となった2010年YAGPでの入賞はなりませんでしたが、翌年2011年のYAGPではコンテンポラリーで優勝を果たし、奨学金を得てモナコのプリンセスグレース・アカデミーに留学しました。
彼女のインスタを見る限り、最近はニューヨークとイスラエルを拠点にコンテンポラリーを踊っているようです。(セクシー路線なショットも多く、活動内容はナゾです…)
プロのダンサーになってもならなくても…
映画『ファースト・ポジション』でフィーチャーされていた彼らのその後、いかがでしたか?
撮影から6年・公開から5年が経過した今、バレエの道を進み続ける子もいれば、他の道を歩む子も。
いずれにせよ、真剣に取り組むものがあった青春って、、、いいですね。
~reverence~
Sponsoored Link